今の自分は去年の自分より成長しただろうか?

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年収

現代では、何かと年収(収入)というパラメータが重要視されている。
日本は特に重要視されているのかもしれないが、何かに付けて、年収が一つの大きな指標として扱われることが多いと思う。
結婚相手や人間としての凄さなど、は年収100万円の人よりも年収1000万円の人のほうが凄そうに見えるし、有利に思える。

もしかすると、僕が思っている以上に年収なんて気にしていないかもしれないが、インターネットにどっぷり使っている僕には、世間の人たちは年収がとてつもなく重要に思えているような気がしてならない。

しかし、年収というのは本当に運ゲーで、年収で人間の凄さや素晴らしさなどを決めつけてしまうのは、本当に悲しい。

頑張っている人はいつか報われる人もあるが、報われない人もいる。
短期間で報われた人は成功体験になって、もっと頑張れるし、そうでない人は、成功体験なしで長期間頑張り続ける必要がある。
スタート地点は同じ能力かつ同じ努力量だったとしても、短期間で報われたかどうかでその人達の未来は大きく変化する。

例えば、ヒカキンのマリオボイパがバズらなかったとしても、同じ未来はあるだろうか?
米津玄師ががニコニコでバズらなくても、今の様な未来になっていただろうか?

そもそも、ヒカキンがボイパを、米津玄師が音楽をやっていなかったら同じ未来になっていただろうか?
たまたま心から頑張れることを見つけて、楽しめていた彼らががんばれていたのは、本当の努力のたわものだったのだろうか?
単純な努力量は、血便で苦しんでいるサラリーマンの方が上なのではないか?
ヒカキンはうつ病にもなっていないし、血便も出ているかは不明だが、動画投稿を続けられるだけの病状にはなっていない。
つまり、ヒカキンはまだまだ努力が足りないとも考えられる。

しかし、世の中の考えとしては「頑張っている人=苦痛を感じている人」ではない。
「結果を出している人が=頑張っている人」なのである。
つまり、ヒカキンや米津玄師が頑張っているかどうかは関係なく、たとえ頑張っていなくても、結果を出していれば頑張っていると捉えられるのである。
実際、米津玄師は頑張っているように感じるが、米津玄師の私生活は全く知らない。
全く知らないのに、なぜだか頑張っているような気がする。
それは、僕たちには作り上げられない、素晴らしい楽曲を作り上げているからだ。
もし仮に、僕たちが米津玄師が作る楽曲のような曲を作ろうとすると、それは血がにじむ様な努力が必要である。
だから、想像で「米津玄師は頑張っているんだろうな~」って勝手に思っているだけなのである。
つまり、実際に頑張っているかどうかはわからんということである。

最近結婚した加藤純一はめちゃくちゃ長時間ゲームを実況している。
普通の人はそんなに長時間ゲームをしていないし、その間おしゃべりし続けることもできない。
けれども、彼はそれを成し遂げている。つまり、加藤純一は僕たちがやろうとすると、めちゃくちゃ大変なことをやり遂げており、結果を出している=頑張っている。という法則が成り立つ。

でも、加藤純一は本当に頑張っているのだろうか?
勝手な想像であるが、頑張っているというよりは、ゲームとおしゃべりがもともとめっちゃ好きで、頑張っているのではなく、楽しんでいる様に思える。

血便を垂れ流しながら、苦痛に耐えて、大した結果を出さない一般人と、楽しくゲームをしたり、変顔したり、音楽作ったりして世界中から認められている人。
果たして頑張っているのはどちらだろうか?

結果を出せば、認められて、結果が出なければ認められない。
その指標はお金。YouTubeだったら再生数。
たまたま自分に得意な分野を見つけることができなかった一般人と、たまたま自分が得意な分野を若いうちに見つけて、その分野に関しては長時間作業してもあまり苦痛とは感じられない成功者。

その違いは、年収である。
つまり、年収で人間性を決めるのはあまり意味がないということである。
年収の高さはラッキーマンかどうかの指標でしかない。
親が金持ちだったか、たまたま運を身に着けてブームに乗れたか、自分の能力を見つけられたか。成功者は運ゲーの勝者であり、スキルガチャの★5を引き当てた人間である。

成長

僕は1年前よりも成長しただろうか?
数年前にも、僕は同じようなことを考えていた。
でも、ここ数年間は僕自身成長したとは感じていなかった。

年収は高くなってきたが、自分自身の人間は成長していたとは思えなかった。
その理由は、常に儲かることをやり続けており、自分への投資というのは全くしてこなかったからだ。

そして、今現在の僕に関しては、1年前よりは成長しているように感じる。
それは、単純に肉体的に筋トレを初めて、筋肉量が増えたからである。
また、千葉に土地を買って活動量を増やしたというのもある。
しかし、それに伴って年収は下がっている。
お金に直結しない作業を増やすと年収が下がるのは当然であるが、このバランスをどうするべきなのかはまだ答えが出ていない。

同様にヒカキンは過去のヒカキンと比べて成長しているのだろうか?
ヒカキンは数年前と比べて格段に年収が向上している。
住んでいるマンションも広くなり、買うものもどんどん豪華になっていった。
なんとなく動画を見ていると、「ヒカキンはすごくなったなぁ~」とは思えなかった。
ヒカキンはたくさんの募金をしており、人間性もすばらしいけれど、数年前よりは太っており、ヒカキン自身の能力がなにか伸びたかどうかはわからない。
コラボする相手のランクは上がったように感じるし、企画で使う金額も上がっていると思う。
でも、なにか能力は上がっているのかは不明である。

セイキンに関しては、動画の投稿頻度は下がっているようだが、音楽をよく作っており、アーティストとしてのレベルは上がっているような気がする。
ヒカキンが結婚しておらず、セイキンが結婚しているのはこれが理由なのかもしれない。

しかし、結局能力が上がったかどうかというのは、数値化できず、客観的に判断が難しいのである。
だからこそ、年収(収入)という指標を用いて、間接的に数値化することで、すごいかどうかを判断するしかないというのが実際のところだろう。

逆に、年収が低くとも、能力値が高いと思わせることできれば、それはすごいという判断に繋がる。
例えば、オリンピック出場選手は年収が特別高いわけではないが、明らかにすごい。
ボディービルダーだって、年収は低い人が多いが、明らかにすごい。

ヒカキンの様に、子供を笑顔にして年収を上げるというのも素晴らしいことだけれど、僕個人的に目標にしたいと思うのは、自分の能力を高めてすごいと思われる人物だなって思った。

ここ数年、僕は年収が結構高くてお金に余裕があったけれど、自分の能力に見合わない年収であったために、なんだかもやもやとしていた。
でも、いま年収が下がってちょっとがっかりしているのだけれど、今度は能力を伸ばしてそれに見合った年収を獲得しようと逆に勇気が湧いてきた。

たまたま、年収が高くなって自分の能力が上がったと勘違いして、調子に乗らないように気をつけようと思います。

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