被災したときのこと【北海道胆振東部地震】

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今回は、北海道胆振東部地震の影響により、被災したので、その時の情強をまとめました。

住んでいるところ

僕の住んでいるところは、北海道の下の方です。
震源地からは、離れている場所なので、地震の規模としては震度4でした。
揺れ自体は大きく、家がとても揺れたのですが、地震はたまに起こる地域でしたので、ここまで大きな地震だとは思いませんでした。

【Wikipedia】北海道胆振東部地震

 

その時の情強

2018年(平成30年)9月6日3時7分頃に地震が発生しました。
昼夜逆転生活を送っていたため、この時刻もまだ起きていた私は、いきなりパソコンの電源が切れ、電気が消えてびっくりしました。
その直後に大きな揺れが発生したため、急いでパソコンデスクの下に潜り込みました。

当たりが真っ暗になった状態で、スマホのライトを使い、部屋を確認しました。
最初は、地震が起きたら自動的にブレーカーが落ちる安全装置が働いたと思い、ブレーカーを戻しに行きました。
しかし、ブレーカーはONの状態です。

この時、完全に停電になったということが判明しました。

 

まず行ったこと

地震が起こってというよりも、停電したことより、することがなくなりました。
震度4の地震自体は、たまに来る地域だったので、もし停電していなければ何事もなくいつもどおりの生活をしていたでしょう。
そのくらい、家のものが落ちたり変化もありませんでした。

しかし、長年生活をしていて、突然停電するということはめったにありません。
このときは、明日になればすぐに復帰するだろうと思っていました。
そして、3時間位は、ネット上で情報を集め、津波の心配が無いことを確認して眠くなってきたので寝ることにしたのです。

 

停電が続く

「目を覚ませば、停電は直っている」そう思って目を覚ましましたが、状況は寝る前と変わっていませんでした。
私の生活はパソコンと共に送っているため、このときは愕然としました。
パソコンが無ければ、ブログも書けないし、動画も作れません。

本当にすることがなく、ひたすらスマートフォンを弄っていました。
丸一日スマホで情報を集めていても、大した情報は入ってきません。
1週間で停電は直ると書かれているけれど、それが本当なのかさえわかりません。

私の地域はもっと早く復旧すると思われるけれど、実際は1週間以上伸びるかもしれないという気持ちで生活をしていません。
そのため、最悪1週間以上伸びたときのことも視野に入れて、生活をすることにしたのです。

 

1週間以上電気のない生活方法

使える電気は、モバイルバッテリーと乾電池だけです。
幸いモバイルバッテリーは4個程度あったため、ライトには困りませんでした。
更に、ハンドルを回して発電するタイプの人力発電ライトも3個あったため、1週間以上停電していたとしても、ライトに困る心配はありませんでした。

しかし、スマートフォンを充電できるのはモバイルバッテリーだけです。
使い切ったらおしまいなので、モバイルバッテリーはスマホ充電専用として使い、ライトは人力で発電する方法のみを使うことにしました。
これで、とりあえず1週間以上停電が続いても最低限の電気は確保されました。

 

1週間の食料

次は食料です。
幸いなことに、冷蔵庫には沢山の食料がありました。
しかし、停電により、数日で食料はだめになってしまいます。

腐る前に食べられるものは食べてしまわないといけません。
その後の食料は、一応カップ麺が数個こフルーツグラノーラがあるくらいです。
ただ、お米もあるので、庭で火をおこして、米を炊けばいいので、食料は心配していませんでした。

更に、庭には大量のブラックベリーや野菜もあるため、更に安心です。
電気は凄い心配していたのですが、食料に関しては全く心配していませんでした。

 

暇な1日

こういった震災は過去にも体験したことがあります。
3.11の頃は東京にいたので、しばらくは暇だった記憶があります。
でも、そのときは計画停電だったので、暇な時間はわずかでした。

今回は常時停電ですから、常に暇です。
テレビも見れないですし、Wifiもつながらないので、YouTubeも見れません。(データ容量的に)
Twitterと2chまとめ、ブログを見る日々です。
たまに外に散歩して、庭で土いじりをしたいとも考えましたが、もしかすると水が止まるかもしれないという不安から、やめておきました。
※断水もしていませんでした。

更に、今後携帯電話の基地局のバッテリーもなくなり、インターネットすら使えなくなる可能性もあるという情報を得たときは、いよいよ暇になると覚悟していました。
ただ、1日覚悟していたら、本を読むいい機会だと開き直ることが出来ました。

 

夜は本当に不便です。
本を読もうにも、ライトを使わないといけません。
大きなスタンドライトを使えば読むのも楽ですが、電気の節約のために、人力タイプの小さなハンドライトを使っていました。
片手に本、片手にライトを持ち、とても読みづらかったです。

停電が長引いていたとしたら、おそらく、ライトをぶら下げる台のようなものを作っていたことでしょう。

 

停電回復

結局まる2日程度で停電は回復しました。
私の家の近くに病院があったことも、早く回復した理由の一つです。
その時はまだ、地域のお店が集合しているところは停電でしたからね。

おかげで、あまり長期間の停電は体感すること無く、過ごすことが出来ました。

 

生鮮食品

しかし、その後も牛乳や生物などの生鮮食品はしばらくスーパーには並びませんでした。
ちょうど1週間経過した9月12日現在にやっと牛乳が入荷したくらいです。
それでも、1週間でほぼほぼ9割復旧というのは、日本という国の凄さを実感するスピードです。

 

まとめ

どんな事が起こっても、死んでさえいなければ、なんとか生き延びられるのが日本です。
いちばん重要なのは、災害直後に死なないこと。
直後を乗り切れば、大抵は死にません。

地震に会わない方法は無いので、後は天に祈るだけです。

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